4回生特別企画
「繋がる想い」



中里 真
遊撃手・総人4・川越

こんにちは。主将の中里です。

 

四回生の思いを繋ぎ、この4年間を振り返るべく、大学野球を始めてから記録してきた「野球ノート」を手に取りました。改めて見返すと、それは単に野球技術のメモではなく、その時その時の感情や、目標や自己評価、悩みや喜びなど、自分の頭の中身をそっくり映し出すものでした。

 

入部当初は「いつか留学したいから、1、2年で引退しよう。」などと生意気なことを企んでいましたが、「上田遥」という最大最強のライバルを発見した瞬間に心のスイッチが入ってしまいました。昔から熱しやすくて冷めにくい男「中里真」は、見事に大学野球に四年間を捧げることになるのです。

 

「野球ノート」は自身の野球技術と心の成長をハッキリと示してくれます。単にフォームやトレーニングの話題が中心であったものが、二回生、三回生となるにつれて配球・試合展開・精神状態なども加わり、「試合に出る」から「試合で活躍する」ことにシフトしました。さらに、チーム全体や仲間に関する記述もどんどん増え、チームの勝利を強く意識するようになりました。長い野球生活、自分に負けそうな日も、バカみたいに練習する同期の松尾・前川・佐藤の姿に背中を押され、練習に励むことができました。

 

基本的にとにかく明るい中里ですが、四年間を振り返ると辛いことも沢山経験しました。特に最上学年になってからは、チームを任された責任感、不安や焦り、連敗への恐怖など、京大野球部だからこそ味わえるプレッシャーとの戦いでした。自分を支えていた根拠の無い自信を失い、仲間を信頼できない時期もありました。そんな時支えてくれたのは、夜遅くまで練習する仲間の姿であり、本気で議論を重ねた青木監督並びに冨田コーチの存在であり、試合に負けて号泣している後輩であり、マネージャーからの応援メッセージでした。みんなの「勝ちたい」「誇りあるチームにしたい」という思いが本当に嬉しかったです。

 

京大野球部として、中里真として、支えて頂いた方々に恩返しが出来るチャンスが明日あります。この近大戦に向けて選手もスタッフもコーチも監督も最大限の準備をしてきました。明日「野球ノート」にどんな言葉が刻まれるかは誰も知りません。しかし、ここまで全力で突っ走ってきた「TEAM中里」は最後まで駆け抜けます!勝ち点とるぞ!やったるぞ!

 

 

主将 #1中里真



小林大洋
投手・工4・藤島
明日で最終節を迎えます。

練習も今日で最後で、4年間の大学野球生活も後は試合を残すのみとなりました。

リーグ戦初登板は3年前の近大戦でした。加えて先発でした。当日のアップ後に伝えられました。

結果は散々でした。悔しさとともにこれで終わってしまう当時の4回生に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

初登板のマウンド、ガチガチに緊張したことを今でも鮮明に覚えています。

あれから3年が経ちました。長いようでしたが早かったです。初登板が近大で始まり、最終節も近大です。

思い返せば、皆には迷惑ばかりかけてきました。

同期の皆、特に奥山には世話になりっぱなしです。ブルペンで何球受けてくれたか多過ぎて分かりません。借りを返せる量では到底ないです。

上手くいかない日々が長く続いたこともありましたが、そんな時でも練習に付き合ってくれました。

散々悩ませてごめんなさい。

小学生ではサッカーに勤しみ、野球を始めたのは中学からですが、どんな時でも応援してくれた両親、ありがとう。
高校では、朝早く起きて弁当を作ってくれたり、早朝や夜遅くに車で送り迎えしてくれたり、大学生になっても惜しみない援助をしてくれました。
4
回生になってからはほぼ毎週のように遠路はるばる試合を見に来てくれて、コメントまで付くようになりました。

頼りない僕を支えてくれた同期には感謝してもしきれません。この代で良かったです。

この場で感謝の意を伝えたい方々は数多くいますが長くなるので割愛します。

この4年間、チームは連敗を止め、勝ち点を取りました。ですが、僕自身勝ち投手になったことはありません。勝ちたいです。勝つための努力はしてきたつもりです。勝つためならいくらでも投げます。誰がなんと言おうと投げます。チームの勝ちが決まるその瞬間まで耐え続けます。望むことなら、奥山がマスクをかぶっている状態で試合終了のマウンドに立っていたいです。それが彼への一番の恩返しでありチームへの最大の恩返しだと思っています。

僕はこのチームで勝ちたいです。「日本一誇れる」に相応しいチームだと思っています。

全員で勝ちましょう。

勝ち点奪りましょう。

最後に友人の受け売りですが、

顏晴るために頑張りましょう。


奥山知太郎
捕手・法4・明星
近大戦まであと2日。

9月5日に始まったリーグ戦も残すところあと1節になりました。
勝ち点2・最下位脱出を目標に掲げスタートした秋季リーグでしたが、対立命 2回戦の勝利以降は勝てず、第6節までの成績をもって、既に京大の最下位は決定しており、残念ながら目標は達成できませんでした。

昨秋、わかさスタジアムの一塁側ブルペン奥で最下位決定の瞬間を見届け、「来年こそ絶対脱出する!」と口にしたのを今でも覚えています。
やはり悔しさはありますが、今は目の前の近大戦で勝ち点を取ることに集中しています。
今年達成できなかった「最下位脱出」。この思いは来年のチームに託します。


思い返してみると、「もう一度キャッチャーをしたい」という思いから入部した京大野球部でしたが、1回生の頃は、「リーグ戦の相手はすごいなぁ」と思っていただけで、相手に勝つビジョンは全くありませんでした。

しかし、リーグ戦のベンチで、京大の投手が投げた球を簡単に打ち返され負ける試合を何試合も経験し、「どうにかして抑える方法はないか?」と思い始め、その頃から真剣にリーグ戦で勝つ方法を考え始めました。

その頃から、「リーグ戦で勝ちゲームを作る」が自分の目標になりました。


2・3回生の間はほとんどリーグ戦でマスクを被ることはありませんでしたが、日に日に「自分がマスクを被って勝ちゲームを作る」という思いは強くなっていきました。

練習後にリーグ戦のDVDを持ち帰って研究したり、夜中まで部室でビデオを見たり、先輩や後輩と野球について語り合ったり、YouTubeの動画で野球を研究したり、いつしかプロ野球観戦までもが娯楽ではなく研究になっていたり。
本当に多くの時間を野球に費やしてきました。


考えても考えても、答えが出るものではなく、2・3回生の頃は試行錯誤の日々でした。

4回生になりリーグ戦でマスクを被るチャンスを得ましたが、開幕から7試合、良い試合はできても、なかなか勝ちには届きませんでした。

そして、春季リーグ8試合目、対同志社2回戦。
7-6、やっと勝ちゲームを作ることができました。
最後の打者をショートゴロに打ち取った瞬間、自然とカッツポーズをしていました。
あの瞬間、泣くほど嬉しかったのを今でも鮮明に覚えています。


ボールを投げるのは投手、打球を処理するのは野手、捕手はひとり反対を向いて周りには見えないサインを出しているだけ。
傍から見ると、自分の力では何もできない地味な役割かもしれません。
捕手は投手をリードするといっても、それは目に見えるものではありません。


でも、僕はその目に見えないものを追い求め、全力を注いで研究してきました。
その目に見えないものこそが、今までの京大に足りていなかったものだと思ったから。
目に見えない配球・リードというものに大いなる価値を見出し、なんとかリーグ戦で相手打線を抑えられるバッテリーを作っていこうと考えました。

しかし、目指す形を追い求める中で、時には、投手に厳しいことを言ったり、無理な注文をしたり、うまく相手打線を抑えられずにイライラしたこともありました。
投手を信じれず、また野手のことも信じれず、自分の存在意義を見失ったときもありました。

ミーティングでかなりの時間を拘束することもありました。
それでも一緒に対策を考え、僕の出すサインに頷いて、投げ続けてくれた投手陣には感謝しています。
そんな誇れる投手陣と「もう一度勝ちゲームを作りたい」、これが僕が近大戦に懸ける思いです。
そして、できることなら4年間一緒に頑張ってきた#18小林を勝ち投手にしてあげたい。
1勝挙げてから卒業させてあげたい。
「最後だから」というのは好きじゃないのですが、やっぱりそういう思いもあります。


それぞれ個性の豊かな投手陣と一緒に戦ってきた1年間は、苦しいことや悔しいこともあったけど、本当に楽しかった。
この投手陣と一緒に戦えるのも近大戦で終わりだと考えると、とても寂しい気持ちになります。
17点取られたり、満塁本塁打を打たれたり、20本以上ヒットを打たれることもあった。
でも、そんな苦しい戦いをも乗り越え、自分たちを信じ戦い続けてきた。
この1年間で皆本当に大きく成長してきた。
そんな戦いの中で必死にもがいて得た自信と、自分勝手な僕に付いて来てくれた投手陣への感謝を胸に、近大戦では、最後まで脳みそフル回転でサインを出し続けたいと思います。
その先には「勝ちゲーム」が待っていることを信じて。


最後に、僕がここまで野球を続けてこれたのは間違いなく、小中高大とサポートし続けてくれた親、これまで指導してくださった多くの方々、励まし合って一緒に頑張ってきたチームメイト、応援してくださった多くの方々のおかげです。
祖母と両親は毎試合観戦に来てくれました。
母校に帰る度に「リーグ戦頑張れよ」と言ってくださった高校の監督。
関学に進学した同期とは、対戦はできませんでしたがお互い良い刺激になりました。
貴重な休日に観戦に来てくれた友人もいました。写真を撮ってくれた友人もいました。
これまで本当に多くの人に支えていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
「本当にありがとう」と伝えたいです。
近大戦では、感謝の気持ちも込めて全力でプレーしたいと思います。


明後日、10月20日 近畿大学―京都大学 南港中央野球場 12時プレイボール
楽しみにしていてください。期待してください。
絶対に勝ちます。そして勝ち点を取ります。


試合後に良い笑顔をしているチームメイトの顔が頭に浮かびます。
「勝って笑おう!」そして「笑って終わろう!」 
さあ行こう近大戦、これが最後の勝負だ!

爲沢透
学生コーチ・医4・藤島
 約1,300日の大学野球生活も、残り3日となりました。

小学4年から始めた野球も、中学、高校、さらには大学までやり続け、気付けば13年目。
既に人生の半分以上を野球とともに過ごしてきました。

野球を始めたころは、こんなに長く野球をやるなんて思っていませんでした。
それでも、区切りを迎えるたびに、なんだかんだ野球がやりたくなって、
両親にもわがままを言ってここまで好きなことをやってきました。

ここまで野球ができたのは、自分に関わってくれたたくさんの人のおかげです。
監督、コーチ、マネージャー、同期、先輩、後輩、これまでのチームでお世話になった先生方……挙げればきりがありません。
その中でも一番は、やはり家族のサポートのおかげだと感じています。

野球というスポーツは、どうしてもお金がかかってしまうものです。
小・中・高でもそれなりにお金はかかりましたが、
大学ではそれまでと比較にならないくらいにお金がかかりました。
道具やユニフォームに加え、毎月かかる部費に、1回行けば何万円もかかる遠征費。
怪我をすればその治療費だってかかりました。

それだけお金がかかるのに、自分でお金を稼ぐ手段がありませんでした。
カリキュラムの都合で授業をびっしり入れなくてはならず、
学業と部活を両立すると決めた以上はバイトに時間も割くこともできませんでした。
4年間のほぼすべての生活費を両親に出してもらいました。

生活費や家賃、光熱費を出してもらうだけでも頭が上がらないのに、
さらに自分のわがままでやっている野球に対しても、
嫌な顔一つせずサポートしてくれました。
わざわざ関西まで応援に来てくれたこともありました。

母は、毎朝のように早く起きて、弁当を作ってくれました。
僕がユニフォームをどんなに土まみれにしても、
いつも真っ白に洗い上げてくれました。
朝から夕方まで働いて、家に帰れば家事をこなす、
まだ実家にいたころは、それを当たり前のように見ていましたが、
いざ一人暮らしをしてみると、全てを完璧にはこなせず、
必ず何かがおろそかになってしまいました。
これだけ大変なことなのに、何十年もこなしてきた母は、本当にすごいと思います。

父は、バッティングセンターに行きたいと言えば、
車で何十分もかかるのにいつも連れて行ってくれました。
キャッチボールがしたいと言えば、いつも相手をしてくれました。
高校のときには、保護者会の会長も務め、
自分ひとりだけでなくチーム全体のサポートもしてくれました。
いつもどこかで、陰ながら見守ってくれていました。

祖父母は、大会になると、必ずと言っていいほど観戦に来てくれました。
僕が高校のころには、祖父母ともに80歳を超えていました。
高齢の祖父母にとって、外出するだけでもかなり大変だったでしょう。
夏にもなれば、球場は観客席といえども暑くなります。
それなのに、父が運転する車で1時間かけて応援に来てくれたこともありました。

ありふれた言葉でしか表現できませんが、
家族に対しては本当に感謝の思いでいっぱいです。

今年、父は還暦を迎えました。

これまでちゃんと感謝の意を示せずにいたこともあり、
これを機に、僕は両親に贈り物をしました。

両親はこれまでになく喜んでくれました。

両親が喜んでくれたことが、僕にとって本当にうれしいことでした。
普段から負担をかけっぱなしで申し訳ないとは思いながらも、
また喜んでもらえるように頑張ろうと、このとき決意しました。

今秋のリーグ戦を前に亡くなった祖母には、
もう直接感謝の気持ちを伝えられませんが、
祖父には、元気なうちに必ず感謝の気持ちを伝えようと思います。


そして、今年の7月。
相変わらず支えられていることには変わりありませんが、
部内では支える立場になりました。
支える立場なりに苦労はありますが、コーチとしての日々は本当に充実しています。

このチームは「日本一誇れるチーム」を理念に掲げて始まりました。
成長したところ、未熟なところ、いろいろあるかもしれませんが、

どんなに逆境に追い込まれても、消えることのない明るさ。
どんなにプレッシャーがかかる場面でも、実力を発揮できるくらいの集中力。
長い時間をかけて築かれた絆。

少なくともこれらは、「日本一誇れる」と僕は思います。

そんな日本一誇れる仲間の中で、特に感謝したい人が3人います。

まず中里。
コーチに転身したほうが力になれるとわかっていたのに、いまいち決心がつかない、
そんな時に中里がコーチ転身を提案してくれました。
彼のおかげで野球部員として生き返ることができました。
本当にありがとう。

それから、かつて一度退部を決心したときに思いとどまらせてくれた奥田。
君が必要としてくれたおかげで、今こうしていっしょに戦えています。
本当にありがとう。

最後に、来る日も来る日もキャッチボールの相手をしてくれて、何かと話を聞いてくれた北林。
どんなにつらくても頑張ってこれたのは君が支えてくれたおかげです。
本当にありがとう。

他にも感謝したい人は山ほどいますが、
一人ひとり伝えられず、申し訳ありません。


さて、チームは今季ここまでわずか1勝。
最下位脱出と意気込みながらも、思い通りの結果が出ず、
選手でないとはいえ、いや選手でないからこそ、
自分にもう少し力があれば何かを変えられたかもしれない、
そう思うと、悔しくて仕方ありません。

まだ、試合は残っています。
何かを変えるチャンスは残っています。


新たな目標は「近大戦での勝ち点奪取」。


自分にできることは、もう多くはありません。
ですが、自分にならできることが必ずあると信じています。

自分が支えられたのと同じように、選手たちを支えること。

最後のゲームセットが宣告されるまで、彼らの背中を押し続けます。


#27 / #52学生コーチ 爲沢 透
 
酒井紋茄
放送委員・法4・嵯峨野
4年間振り返るとつらかったことばかり思い出します。
それと同時に多くの方と出会い支えてもらったことへの感謝の気持ちでいっぱいです。

私は1年生から放送委員を務めてきました。
そもそも野球部に入った理由は祖父の影響で大好きだった甲子園にいけると聞いたからです。
マネージャーのことも放送委員のことも全く知らずに入部しました。

だからこそ厳しい環境に驚きました。
放送委員の主な仕事はアナウンス、スコアボード操作です。
その仕事ができるのも3回生になってからで、初めのうちはひたすらスタンドのゴミ拾いでした。
その上先輩方からも言葉遣いやお客さんに接する態度など厳しい指導がありました。
アナウンスもできるようになるまで何度も指導していただきました。
毎日泣きそうになりながら帰っていたのを覚えています。

しかし、そのおかげで本当に成長できたと思います。お客さんのために頑張ること、そしてありがとうと言われる喜び、
水泳バカで一人で泳ぐことしかなかった自分にとって初めての経験でした。

アナウンスも自分なりに努力しました。
放送なんてあってもなくても一緒と言われたこともあります。
チームのためにならないと言われたこともあります。
それでも野球部で自分にできることは放送しかないと思い、精一杯頑張りました。
ボイスレコーダーを買って練習もしました。
打席に入りやすいタイミング、投げやすいタイミングを自分なりに考えて試合にのぞみました。
そしてU18ワールドカップの決勝戦のアナウンスに推薦していただくまでになりました。
納得の4年間でした。

つらいことも楽しいこともいろんなことがあった4年間、ひとりでは乗り切れませんでした。
ひとりで洗濯をしていたときに特製ジュースを差し入れしてくださった合宿先の旅館の女将さん、
球場の入り口でいつもハイタッチして行く常連のおじさん、
練習も試合も絶対見に来てくださるおじいちゃん、
今年も野球部のことを気にかけてくださったスカウトの方、
部室の雰囲気を明るくして下さったトレーナーの藤田さん。
いろんな人に応援していただき、元気をもらってきました。

つらい4年間を一緒に乗り切った放送委員の同期、
いつも明るく楽しませてくれた連盟委員。
一緒に頑張る同期にも恵まれました。

そして後輩。
今年の夏はオープン戦などすべて任せてしまいました。
それでもきちんとやり遂げてくれたみんなには本当に感謝しています。
2回生4人は心から信頼できる4人です。
こんなに面白くてかわいくて、でもしっかりしている後輩は他にいません。
この1年、みんなのおかげで本当に楽しかったです。ありがとう。

4回生のみなさん。マネージャーらしいことはひとつもしてきませんでしたが、いつも気にかけていただき本当にありがとうございました。
特に賢太。ほぼ毎日喧嘩しましたが、賢太とだったからこそしんどいことも乗り越えられたと思います。ありがとう。

そしてどんなときも応援してくれた家族。感謝してもしきれません。
始発に合わせて朝早くに起きてくれたり、夜遅くに迎えに来てくれたり。
仕事で忙しくても、膝が痛くても試合を見に来てくれました。
野球部のマネージャーをすると決めたものの、初めてのことばかりでつらかったときいつも背中を押してくれました。
そのおかげで憧れだった甲子園でアナウンスすることができました。
本当にありがとう。
小さい頃から毎年行った思い出の甲子園で、そしてテレビの前で
自分のアナウンスを聞いてもらえたことはちょっとした恩返しになったかなと思います。
まだまだ未熟者なので、今後もよろしくお願いします。

最後になりましたが、いつも応援してくださる保護者の皆様、先輩方、京大ファンの皆様、この4年間ご支援ご声援本当にありがとうございました。
このチームでの試合も残すところ近大戦のみとなりました。
4回生の活躍にぜひ注目してください。
そして来年以降チームを引っ張る後輩たちにも注目してください。

最終戦、南港中央野球場にてお待ちしております!


放送委員4回生 酒井紋茄

 佐藤駿介
内野手・医4・東筑
 この4年間を思い返すと、野球がどんどん好きになっていった4年間でした。

小学校から野球を始めて、中学高校と友達がいるから続けるといった感じでした。

また、たまたま小中高ともそこそこに強いチームだったので、相手に勝てるということもモチベーションの一つとなっていたのだと思います。

そんなわけで、大学に入学して部活を選ぶときには本当に迷いました。

友達がいるわけでもなく、リーグ戦では連敗中と聞き、その中でモチベーション高く野球を続けられる自信は正直ありませんでした。

しかし、実際は本気で勝ちを目指す人たちの集まりで、とても魅力的でした。

リーグ戦や社会人チームとの試合を重ねるにつれて、自分がいかに野球の浅い部分しか知らないかということに気付かされました。表面をかじったくらいですべてを知ったつもりになっていました。愚か者でした。

どんどん野球にのめりこんでいきました。深い部分を知り、練習し、できることが増えていって、またさらに深さを知る。

結果が出ずにイライラしながらひたすらバットを振った時期もありますが、それも含めて野球が楽しくて仕方ありませんでした。

今もそうです。あと5日ですが、まだまだ成長できると信じて毎日練習しています。

野球は思っている以上に深く、思っている以上に楽しいものです。

もちろんこれだけ好き勝手に野球ができたのは一人の力ではありません。まわりで本当にたくさんの人が支えてくれました。

二回生のころ、母は病気で歩くことも話すこともままならない状態でした。

実家では母は病気と闘い、父や兄は夜通しで介護をしてくれ、祖母たちもそれを支えてくれていました。

自分だけが遠く離れた京都でぬけぬけと野球ばかりしていていいのか。野球をやめて休学し実家に帰ったほうがいいんじゃないか。毎日そのことばかり考えていました。

しかし、そのような状況でも自分の方が辛いのに笑顔で「がんばれ」と言って、京都まで車いすで応援に来てくれる家族がいてくれました。帰省すると言えばいつでも許してくれ、戻れば一緒にバカやってくれる野球部のみんながいてくれました。

本当に感謝の気持ちしかありません。ありがとう。

恥ずかしいので面と向かっては言えませんが、心から支えられました。ありがとう。

自分たちにはそれぞれに支えてくれる人がいます。

71人のチームですが、それぞれの家族、友達、OBの方々、地域の方々などその何十倍の支えがあります。

この大きなチームで最高の環境で野球ができて本当に幸せでした。

みなさんありがとうございました。

近大戦まであと5日。

チーム中里は「日本一誇れるチーム」を合言葉に始まりました。

勝利を目指すのはもちろん、挨拶や掃除、まわりの人への感謝などどれもあたり前のことですが、全員で全力で取り組んできました。

自分たちの1球、1スイングにはたくさんの人のたくさんの思い、誇りが詰まっています。

このまま簡単には終われません。

71人の「熱い男」たちの熱い野球をぜひ見に来てください。

最後まで応援よろしくお願いします!

#9    佐藤駿介

 
前川優也
外野手・経済4・東海大仰星

近大戦まであと6日となりますが、楽しみであると同時にそれは僕たち4回生が引退することも意味します。
思い返してみると、連敗記録の真っただ中に入部した僕は「すぐに試合に出られるだろうから活躍して、タイトルとって、ちょっと有名なって、社会人野球に進んで…」という思いでした。
「勝たなければならない野球は高校で終わり」そう思っていました。情けないです。

転機は、2年の春でした。
ある試合、僕のエラーでチームは負けました。
勝ちたいという一心で野球をしていた先輩方に申し訳ありませんでした。

「勝って、神宮に行きたい」そういう思いで野球をするようになりました。
世間から見れば「神宮球場の最寄駅は…、」ってなります。
おそらく馬鹿みたいでしょう。
みたいじゃないです、この野球部にいる奴は全員馬鹿です。
世間から見たらほぼ不可能と思われることをしようとしています。
「やってやれないことはない」全員が、本気でそう思っています。

今季も絶対神宮に行ってやると始まったシーズンでした。
現実は、厳しかったです。
悔しい気持ちでいっぱいです。
「神宮に行きたい」この想いは後輩へと繋ぎます。

さて、自分はさまざまな人に支えられ野球をしてきました。
特に家族には「ありがとう」という言葉では表せないくらいの感謝でいっぱいです。
特に高校のときはわがままいって私立高校に行かしてもらったのに加え、たくさんの迷惑をかけました。
自分より毎朝30分早く起きてお弁当を作り、ユニフォームを干してから自分より30分遅く寝ていたお母さん「ありがとう」。
早朝深夜、駅や試合会場まで車で送り迎えをしてくれたお父さん「ありがとう」。
受験勉強を家でするとき、テレビの音量を小さくして気をつかってくれた弟「ありがとう」。
家族には本当に温かく見守られここまで野球を続けてくることができました。
「本当にありがとう」


また、チームメイト特に4回生には感謝の気持ちでいっぱいです。
遅くまで練習し、主務としても頑張ってくれた辻野。
きれいな放送で試合の流れを作ってくれた紋茄。
来る日も来る日も毎日キャッチボールした佐藤。
ハーフバッティングで盛り上がった奥田。
松尾とは下級生のころ毎日遅くまで一緒にティーバッティングをしました。
奥山のリードに応えるようなポジショニングを考えるのは楽しかった。
最初一人でさみしかった頃に、二番目で入部してきた北林。
最後に本物のエースになってくれ大洋。
園部とは試合前にグランドのゴミ拾いを一緒にやりました。
練習量で編入のブランクを埋めた小山。
バッティングフォームを見てくれたり、体のケアも行ってくれた為沢。
どんなときも背中で引っ張ってきたキャプテン中里。
本当に「ありがとう」!!

さらに、先輩方や後輩たち、今まで指導していただいた方々など、感謝の気持ちでいっぱいです。
ほかの私学の選手のように「神宮に連れて行ってやる」とか言えないけど、最後に「いいものみせてやります」。
少なくとも僕たちが生まれた‘92、‘93年以来はこの野球部を勝って去った先輩方はいないと思われるので、勝って足跡を残してこの部を去ります。


あと6日もある。
絶対に勝って、笑って終わりたい。
やれることは全部やろう。

「やって、やれないことはない」


京都大学硬式野球部 
4回生 背番号33 前川優也
 
小山泰平
捕手・経済4・茨木
 

こんにちは。

4回生捕手#6小山泰平です。

私は第3年次編入学によって京都大学に入り硬式野球部に入学したのですが、最後の機会ですのでそこまでして京大野球部に来た理由も踏まえて自分の野球人生を振り返りたいと思います。

小学校のチームは浪商出身の総監督のもとのスパルタ指導で夏場は週3回、朝4時半起きで授業の前に朝練で走り込まされるなど根性を鍛えられました。

中学生時代は学校の部活動ながら、古豪広島商業出身の顧問の他にも優秀な外部コーチに指導してもらえる恵まれた環境で、試合でも9割は勝っていたように思います。

 このように野球漬けの日々を送っていたかいがあって、外部コーチのもっている縁も手伝って、中学3年の時には甲子園常連校に誘ってもらえるようになりました。

野球を始めたときから憧れていた甲子園を目指すチャンスが与えられたのにも関わらず、怪我などを理由にその挑戦から逃げ、家から自転車で1分で通える公立の進学校に入学しました。

高校に入学をしてからは望んでいたレベルの野球でないことを退屈に感じて左打ちに転向したり、肩や腰の怪我で1年以上野球ができなくなって気持ちが腐ったり、自分の人間としての未熟さゆえにもう一つの選択肢に後ろ髪を引かれながら、不完全燃焼で最後の夏を終えてしまいました。

 高校野球が終ってすぐ、受験勉強にシフトする前に中学の野球部に挨拶に行った際、高校野球を不完全燃焼に終わった自分を見て、外部コーチの方の母校(一応誘ってもらっていた高校)の先輩でアマチュア球界では有名な監督が京都大学の硬式野球部で監督をしているということで、京大に合格したら一緒に挨拶にも行ったるし、その人の元でもう一回野球を頑張ってみろと勧められました。

京都大学が所属する関西学生野球連盟は甲子園経験者が沢山おり、その人達を相手に野球でリベンジができるという環境もとても魅力的で、またその年の甲子園の準決勝がその高校とその監督が強くした高校の熱戦だったことにも運命を感じ、京都大学を目指すことを決意しました。

しかし、1年浪人してまで目指した京都大学でしたが力及ばず入学することができず違う大学に進むことになりました。

普通の大学生としての生活も楽しいものでありましたが、例の監督さんは私が大学一回生の頃に辞めておられたものの京大野球部への憧れを捨てきれず、二回生時は勉強に没頭し、第三年次編入学という形で京大入試に挑戦しました。

入部してからは、4回生を中心に自分達で考えてチームを強化するやり方で各々が意識高く野球に取り組んでいるということを強く感じ、その環境に入れたことをとても光栄に思いました。

キャッチャー不足のために1年目からベンチ入りのメンバーにも選んでもらい、たくさんの勝利を味わうことができ、とても貴重な経験をさせてもらいました。

自分自身は周りの意識の高さに刺激を受けながら、何年ものブランクがあり周りより実力が圧倒的に劣ることに精神的な苦しみを感じながらも、4回生のときに正捕手としてチームの勝利に貢献できるようになることを目指して、できるだけ他の人より練習しようと心がけました。

 そして4回生。正捕手として甲子園ボーイ相手にバリバリ戦っていますという結果であれば、人間的未熟さゆえの挫折を乗り越え、華々しく活躍と漫画みたいでカッコいい人生なのですが、私は結局控え捕手という立場でリーグ戦でみんなの記憶に残るようないいプレーができたこともありません。

改めて、諦めずに挑戦しても達成できないことはあると思い知らされました。

 今回の挑戦は、結局自分の平凡さと、分野問わず目標を達成しつづけている人の凄さを再認識する結果に終わりましたが、京大の野球部に入って経験さしてもらったことは今後の人生にも重要な意味をなすと思います。調子乗りのやかましい自分を途中からでも受け入れてくれた皆さんに感謝したいです。

今まで野球を続けさしてくれた家族や、高校までの指導者の方にもなんらかの形で恩返しをしたいと思います。

 最終戦となる近大戦まであと7日となりましたが、自分もチームもまだまだ成長できると思っています。雰囲気づくりも自分の仕事だと思うので頑張ります!もちろん最終戦で活躍して、プレーヤーとしての爪痕を残すことも諦めていません!

 おそらく4回生全員が本気でする人生最後の野球の試合。後輩達と一緒に勝点とって有終の美を飾りましょう!


奥田大樹
内野手・工4・西大和学園

こんにちは!

#8四回生の奥田大樹です。

 

秋季リーグ戦、我々京大の最終戦まで残すところあと8日となりました。

Gのキセキでは高校までの野球人生を振り返ったので、ここでは大学の4年間を振り返りたいと思います。

 

硬式野球部に入部した当初は60連敗しており、歴史を変えるをキーワードにリーグ戦に挑んでいる中で一勝を勝ちとったのを目の当たりにしました。

一年秋にリーグ戦ベンチ入りし、リーグ戦の雰囲気を体感し、レベルの高さ、勝つことの難しさを感じました。

二年の七帝戦では全試合に出場させていただき見事優勝。
自分が試合に直接関わっての勝利は大きな財産になりました。

三回生になりリーグ戦での出場機会も少しずつ増え、ヒットも出始めてリーグ戦でも戦える手ごたえをつかみました。
一方でフライを落として試合を壊してしまう怖さも経験しました。

このころから自分の幅を広げるために外野手にも挑戦し始めました。

結局はサードに落ち着きましたが、外野手をやったことでフライの苦手意識もなくなり、視野も広がっていい経験になりました。

四回生になりスタメンとして出場し、春の同志社戦にて一勝をもぎ取ったときの喜びは大きいものでした。

しかしながら夏に調子を落とし、op戦でもなかなか結果が出ず、結局秋の初戦はスタメンではなく悔しい思いをしました。ここで腐ったら後悔するだろうと思い、自分のできることをやろうと思いました。

そして秋、立命戦で守備固めとして出場し勝利を収めました。

その勝利も春同様の喜びを感じることができました。

 

ここ最近野球人生を振り返る機会があり、なぜ野球をするのか、なぜ毎日しんどい練習をするのかを考えました。

それは勝利の喜びを味わうため、その中にはファインプレーをする、タイムリーを打つ、いい送球ができた、いい打球が打てた。

また団体競技でしか味わえない、一緒に戦ってきたチームメイトの活躍や両親が喜んでくれる、周りから褒められることなど。

些細なことでも楽しいと思えるからこそ野球を続けてきたんだなとしみじみと思いました。

 

ここまでくると勝ち点というワンランク上の喜び、野球の楽しさを味わいたい。

四回生の想いと、それについてきてくれた後輩たち、支えてくれたマネージャー、チーム一丸となって最後の近大戦で勝ち点をあげたいと思います!

 

応援よろしくお願いします!


園部修平
投手・工4・智弁和歌山

こんにちは。
4回生投手#19園部修平です。

いつの間にか、大学野球の4年間が終わろうとしており、残すは近大戦のみです。

今思うと4年間短かったです。
圧倒的野球経験の無さというデメリットを抱えつつも、智弁和歌山での6年間、野球を間近で見てきて野球への思いが増大し、京大で野球をするという目標のもと入部。
不安も大いにありましたが、同期の前川に(彼は軽い気持ちで言ったのだと思いますが)智弁和歌山かっこええやんといわれたこと、いつも野球のことばかり話していた兄に後押ししてもらったことをはっきり覚えています。


一年の間は、先輩、同期にまだ知らなかった部分の野球を学びながら浪人で怠けきった体力を向上させていました。
周りよりできないことが多くても当たり前やし、どんな人だってやったらできると自分に言い聞かせていました。
その頃肩甲骨付近にしこりができ、肩の可動域が減少しいつの間にかサイドスローになってました。

二年後半から三年のほとんど一年、ヘルニアによる腰痛と足のしびれが徐々に増し、プレー向上よりも日によって変わる症状との戦いが続き、入部当初の気持ちがいつの間にか消えていたような気がします。
そんな中でも、リーグ戦でも勝てるようになってきたチームで活躍する先輩や同期、後輩をみて自分もあんな風になりたいと思いつつも、かけ離れている状況にメンタルがやられていました。


四年間に肩痛も何度か発生して、まともにプレーできていた時期が非常に少なかったようにも思います。
後から考えてみると、ヘルニアの手術に至るまでに時間がかかりすぎたのと肩甲骨のしこりがこの四年間でのミスかもしれません。
4年間で根拠のない自信がどんどん失ってしまったのも良くなかったです。


何にせよこの大学野球の4年間、大部分は悔しくて苦しい思いが強かったですが、そんな中にも仲間とできる野球の楽しさがあったからこそやってこれたのだと思います。
本当に楽しかった。


四年間いろいろ迷惑かけましたが、支えてくれた家族、監督、先輩後輩含め仲間たちにはほんとに感謝しています。
ありがとうございます。
あと野球できるのも残りわずかですが、まだまだ成長して突き進みます。
自信持って暴れましょう。


最後の近大戦まであと9日
チーム一丸で勝ち点取りに行きます‼

#19 園部修平

辻野賢太
投手兼主務・農4・大阪星光学院

こんにちは、4回生選手兼任主務、#4辻野賢太です。

父の影響で野球を始め、中学高校で野球部に入っていました。
高校時代は僕が自分勝手過ぎて友達や監督ともうまくやれず、あまり楽しい思い出がありませんでした。

そのせいで大学ではもう野球はやめようかと思いもしましたが、このままでは「野球をやっていました」と言う資格は無いと思い、また屑な自分を人間的に成長させてくれる場所を求めてこの野球部に入りました。

2回生の途中まで選手を続けていましたが、周囲の人に対して感謝の気持ちも持てず、野球もあまりうまくなりませんでした。
ただやみくもに身体を大きくしようと練習・トレーニングをしていました。
疲労がたまった挙句、投球中に突然腕を骨折したりしました。

2回生の秋まで選手をしていましたが、人間的にも成長出来ず、チームにも貢献できずこのまま選手をやっているだけではダメなんじゃないのか、という思いにかられました。
そして裏方に徹して選手のために頑張った方がチームのためになると思い、後悔を承知でマネージャーに転向しました。

その時は自分がマネージャーをすればチームは良くなるんじゃないか、という傲慢さがありました。
マネージャーがそのような気持ちで務まるわけはなく、先輩方にはたくさんの迷惑をかけました。
ただ、先輩方(同級生含む)には色々と叱って頂いたことで自分の未熟さに気付くことが出来たのは事実です。

最終学年の春合宿の後、まだチャンスがあるのに選手をせず終わってしまうのはやはり心残りだという思いが強くなり、主務兼任で選手に復帰させてもらうことになりました。
それからは慌ただしい生活になりましたが、周囲に助けてもらい、何とかここまでやってこられました。
プレーヤーとしても、バッテリー陣をはじめチームメイトの支えで少しは上手くなったと思います。

この場を借りて、部員の皆さん、スタッフの皆さん、家族をはじめ、支えて下さった皆さんに深く感謝します。
本当にありがとうございます。

残された期間は少しですが、選手として、マネージャーとして少しでも成長できるよう、またチームに何か貢献できるようもがいていきます。
元気に盛り上がっていきます。

近大戦まであと10日。
まだまだ出来ること、やるべきことがあります。
その先には勝ち点1達成があります。
その瞬間を楽しみにしていてください!

松尾洋輔
外野手・経済4・姫路西

こんにちは。
4回生#37松尾です!

関西学生野球連盟には毎季、中ごろの節に甲子園で関関戦、最終節にわかさスタジアムで同立戦なるものが開催されるのですが、
今年はいずれも最終節に開かれ合同で関関同立戦となり、今までにない盛り上がりを見せる節となるそうです。

しかしそのため京大と近大はその前の節に二校だけで(しかも平日に)ひっそりと最終節を迎えることになってしまったわけですが、
僕たちの近大戦にかける思いは関関同立の人たちのそれ以上に強いものなんです!

ということで、

これから近大戦に向けてのカウントダウンを4回生のメッセージと共にお送りしたいと思います!!


最終戦への意気込みの前に少し僕の野球人生を振り返ります。

野球を始めたのは小学五年の秋と少し遅く、きっかけも友達が入ったからというものでした。
それでもそこから野球を辞めたいと思ったことはありませんでした。
それは、小学校の時の監督が
「どんな形でもいいから出来るところまで野球を続けなさい」
と言っていたのが心に残っていることもありますが、
やはり周りの人の支えや影響が大きかったと思います。


僕の野球人生は本当に周りの仲間に恵まれていました。
それ程考えたわけでもなく、強いチームを選んだわけではありませんでしたが、
中高大それぞれで、チームの歴史に名を刻むような人々と共に野球をすることができました。

それらの人々に刺激をもらい、常に自分の未熟さを思い知らされ、まだまだ野球がしたいという思いを持たせてもらいました。

またそれ以外にも僕の心の支えとなったチームメイトや、指導してくださった全ての監督、コーチに感謝したいです。
その教えの全てが今の僕を形づくっていると思います。
特に大学に入って、「感性」の大事さを教えられました。
野村克也氏が「最大の悪は鈍感だ」というように、目に見えない部分を感じる力がなければ何も成長できないということを強く感じました。


それから、両親。
大学に入ってからより一層今まで自分がどれだけ助けてもらっているかを実感しました。
恐らく社会人になればもっと感じる事でしょう。
感情表現が苦手な僕を支えるのはあまりやりがいがなかったかもしれませんが、最後まで応援し続けてくれました。

今まで本当にありがとう。

そんなお世話になった人々への感謝を形にするためにも、最後の近大戦は勝ちます。
個人的にも結果をだして、今までの支えに応えたい。

僕のイメージですが、秋の最終節はいつも4回生が活躍しています。
特に2年前の最終節関大戦、4回生3人でとった1点で勝った試合は強く印象に残っています。
それだけ4回生の思いは強いということです。

しかしそれだけでなく、最終節は次の代との引継ぎの節でもあります。
若い力があるチームは強いです。
来年以降の京大野球部へ弾みをつけるためにも、下級生にも躍動して欲しい。

要は、ベンチ入り、スタンド、マネージャー含め全員で勝つということです!
それが僕たちが目指してきたチームです。

京大野球部2015~TEAM中里~の長くて短いシーズンもいよいよ最終戦。

近大戦、必ず勝ち点をとりましょう。


#37 松尾洋輔